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阿部定事件(NHKの特集から考える)

先日NHK BSプレミアムで「阿部定事件 〜昭和を生きた妖婦の素顔〜」という特集が行われていました。その感想を書きたいと思います。

(今後再放送される可能性もあると思います)


阿部定事件は昭和11年5月16日に起こった。同じ年にはいわゆるニ・二六事件も起きていて、戦争の足音迫る昭和の激動期における事件だった。事件の詳細は、以下のwikipediaの資料をご参考に。


この事件はとてもセンセーショナルかつ奇怪な事件として後世にまで語り継がれているが、その一方で小説や映画のモチーフとして何度も採用されたりして、普遍性のある物語としての側面もある。


今回のNHKの特集は、この事件の背景を阿部定本人の証言を含めて紹介する内容だった。いくつかのフェーズで阿部貞とゆかりのある人々が登場して解説をしている。そこには、以前このブログでもご紹介した作家の「村山由佳」さんも登場して、彼女なりの阿部貞の思いを女性視点で代弁されているのが感慨深かった。


(村山さんの過去の記事はこちら)


阿部貞は出所後一度、雑誌の取材で「坂口安吾」と対談をしている。その内容について村山さんは解説をされていた。ちなみに坂口安吾は『堕落論』で有名で、当時は「無頼派」などとも呼ばれた。つまりアウトロー的な生き方や堕落そのものの意味を追求する存在でもあった。


よって当時理解不能だと思われた阿部定の心理を対談を通して人々に紹介するという意味では、うってつけの存在だったはずである。しかしながら阿部定を前にした坂口安吾の問いかけは「あなたはそれでいい」みたいな形で非常に貧困であった。つまりそれは女性視点からすると「俺はあなたをわかっているよ」的な押し付けでしかなく、全く彼女の心の真相に分け入ることができないものであった。そして村山さんはこうした安吾の姿勢を「男らしさ」とも表現した。


一方で村山さんは女性の視点として、定の行為は理解できるところがあると言う。寄る辺なき人生を送る女性が自分を少しでも理解してくれた男を愛すること。その深さや情念。それを彼女に見るのだという。これは以前紹介した能の「道成寺」「葵上」など般若の物語を見たときの女性の視点とも共通する。


定は幼少期より生まれの問題(仮死で生まれたことや母親の乳の出が悪く他者に育てられたこと等)があり、家族に馴染めなかったようだ。また思春期に性のトラウマがあってその後今で言う不良少女になってしまった。その気持を理解できなかった父親は、それならばと定を売り子に出し、その後彼女は花街で生きる女性となった。


そういう生育史のなかで、定は出所後も自立を探り、人を頼り、また人に裏切られるなどして人生を送る。そうした人生全てを見渡した時に、定の問題は単なる奇怪・猟奇ではなく、普遍的な悲哀物語としての色合いを帯びるのだと思った。


最後に。男性としてやっぱり村山さんの「男らしさ(=わかったつもり?)」という言葉が痛いほど胸に残った。


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