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横山操(NHK日曜美術館より)

先日の日曜美術館で、戦後の日本画壇において「風雲児」と呼ばれた横山操(よこやまみさお)が特集されていました。


恥ずかしながら、私にとっては彼は初見だったのですが、30代のいくつかの作品を見て一気に惹きつけられてしまいました。


とにかく燃え上がるようなエネルギーに圧倒される。そしてその背景には、私が子どもの頃にアニメ『銀河鉄道999』を見ながら感じた戦争の爪痕というか、人々のトラウマを背景とした陰鬱とした心模様や悲しみさえも感じる。


横山操は昭和初期に新潟県に生まれ、生後すぐに親元を離れ養子に出されたといいます。故郷の雪化粧と夕暮れに抱かれ成長し、洋画家を志し14歳で一人上京しますが、20歳で招集命令が下る。


その後主に中国戦線で5年間戦い現地で終戦を迎えますが、不運にもその後捕虜としてシベリアに抑留され、極寒の地で更に5年間の強制労働を強いられる。


そして30歳になってやっと日本に帰還することができ、念願の創作活動を再開したのです。


その頃の写真に「やれないのではないやらないからだ」という自筆のスローガンが写り込んでいるのですが、私は彼がどんな気持ちでこの文を書いたのかを考えました。それは日本に復員して自由を得、水を得た魚のように筆を握ったというよりは、トラウマを抱え腑抜けのようになった自分自身を無理やり鼓舞し、創作活動に取り組もうとした彼の「背伸び」や「無理」を想像した。


例えば30代の作品「溶鉱炉」「網」などは、横幅10m程の幅広いキャンバスに主題となる対象を目いっぱいに描いた意欲作で、高度成長に湧く日本の姿をみごとに描いた躍動感に満ちた絵なのですが、一方で遠近感がメチャクチャなので、作者の有り余るエネルギーとともに方向性の定まらない不安や混乱をも感じる作品です。

また同じく30代の作品「炎炎桜島」「十勝岳」では、これも圧倒的なエネルギーを見ている側に与えるのですが、彼の積年の「怒り」が見事に昇華された作品にも感じる。それは手に余るほどのエネルギーでもあるけど、ギリギリのラインで保たれているので破綻を逃れているというか、出せている。これだけ「怒り」を圧倒的に表現できる芸術家もそう多くないのかもしれません。

彼の初期の作品は圧倒的な“黒”と、その中で控えめに用いられる”赤”というシンプルな色使いが特徴的だと思うのですが、その「赤」の意味が、単に陰鬱の中でメラメラと燃える怒りのエネルギーだけではないのではないかという表現が40代から現れます。


例えばこの頃の代表作「ふるさと」は、前面に生き生きと描かれた黄金色のすすき群の奥に真っ赤な夕日があるという構図。それまでの控えめだった“赤”がやっと主役に躍り出たような作品ですが、それは怒りというよりも「はかなさ」「さみしさ」というような感覚をも含む。ユングやレビンソンが指摘したような、「人生の後半」というテーマを感じるとともに、30代の圧倒的なエネルギーのさらに奥にあった彼の本心が、これまた素直に出てきたなっていう感じの美しい作品です。

絵画における「赤」の情緒は、フランスの画家「ヴァロットン」の作品にも見た感覚でしたが、ああ日本にもいたんだなと思いましたね。


さてその後彼は「水墨画」へと表現の場を移していく。


それを見て、私は「ああ“赤”を捨ててしまったんだな」と思った。というか、“赤”は必要ではなくなったのかな?。


「水彩画」ですので、“白”と“黒”なんですね。元々“黒”は多用してました。エネルギーの角が取れ、本当は「腑抜けだった」というこれも、本心の告白だったのかもしれません。でもこれは悲しさという意味だけではなく、十分に遠回りして表現しきった上での「青い鳥」的な心境だったのかもしれません。

これら作品の中に私は「白骨」のイメージ、つまりは血肉を排除しむだを取り除いた上で唯一残る人間の本質のようなものを感じます。またそこに彼は、何かを見つめ続けたのでしょう。思い返せば彼の30代の作品に「塔」という、放火によって消失した谷中の五重の塔の残骸(骨組み)を描いた作品があるのですが、若い頃の「塔」では十分に整理されなかった彼の挫折感や劣等感、トラウマのような感情が再び40代50代となって水墨画で描かれている。歳を重ね人生を振り返る中での彼自信のオマージュ、あるいは鎮魂歌だったのではないかと感じました。


興味深いことに、先に挙げた「ヴァロットン」も晩年には木版画に傾倒し、“白”と“黒”の表現に修練されていくわけです。またいみじくも遺作となったシリーズは「C'est la guerre(これが戦争だ)」という題名でもある。


残念ながら、横山操は53歳という若さで亡くなってしまいます。病床で彼は「日本の山水を完成させないで死ぬのは無念だ」と嘆きながらも、「俺は地獄だ。地獄でも絵を描くぞ」「日本のこれからをよろしく」と仲間に決意表明をして旅立ったそうです。


時代を引き受けて走り続けた存在でありながら、その苦悩をありのまま表現して変化を続けた横山に、大いに感動したお話でもありました。




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