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つまずきの石

幼い頃に、「つまずきの石」のおはなしを絵本で見た記憶があります。


それはこんなおはなしでした。


『ある子どもが学校に通う道の途中で石につまずいてコケそうになった。


その子どもは石にムカついて蹴ろうとしたけど、ピクリとも動かなかった。


その日から、毎日毎日学校に通う途中で、その石を見つけては気になっていた。


気にして通るので、つまづくことはなくなったけど、なんとなく意識して、毎日その石を避けて歩くのだった。


そのうち気になって気になってどうしようもなくなり、ついにはその石を掘り出してどこか見えないところに投げ捨てようと考えた。


思い立ったらその日のうちにということで、帰り道その石を掘り出した。


見た目は小さな石だろうから、すぐに掘り出せるだろうと考えていたが、なかなかその石は掘り出せなかった。


その日は1時間ほど掘り出して、その日はあきらめて家に帰った。


そんな日が何日も続き、こりゃ一人では無理だと考え始めた。


その石の噂を聞きつけ、いろんな人がスコップやつるはしを持って手伝いに来た。


それでも石はなかなか掘り出せなかった。


だんだんみんな大変もないことを始めてしまったと考えたが、後には引けず、ユンボ(重機)を持ち出して掘り返すことになった。


そうこうしているうちに、何十日もしてやっと掘り出すことができたが、その結果掘り出した石は自分の背をはるかにしのぐ、ビルのような大きさの石だった』


「ちょっとしたつまづきが、とっても壮大な話につながったな」「コケることにも意味があるのかな?」みたいなのが当時の私の感想でしたが、この話はその後いつまでもぼんやり覚えていながらこの年まで過ごしてきました。


そんな中でこの話、いろんな場面で思い出すことがありました。


一つは、『無意識』や『潜在意識』みたいな話を国語の教科書で勉強したとき。


「氷山の一角」という言葉もありますが、氷山は海面上に現れている氷の塊はほんの一部でしかなく、水面下ではもっと大きな体積の部分が隠れているといいます。これを『無意識』や『潜在意識』の例えとして、その教科書では解説していました。


それから「わかったつもりになるな」と大学院で教えられた時。


自分の学びや今見えている現実は全体の中のほんの一部であって、物事の理解のためには十分に相手の話を聞いて、広くあまねく学ばなければならない。簡単にわかったつもりになってはいけない。それが臨床心理士には必要なのだと先生方からは教えられました。


また「症状を持つことや病気になることは自己形成のきっかけになる」ということを知った時。


多くの患者さんは、最初自分の病気や症状を苦しみと感じ早く治してほしいと願いますが、自分の苦しさの背後にある自分自身の事情や、変化の必要性を感じていくと、症状の変化・回復だけでなく、自己成長をも感じられる方が多いようです。


このような経験の中で、ふとあの絵本の内容が思い出されました。


さて皆さんにもそれぞれ、かつて見たり学んだりしたストーリーの中にいまだに頭の隅にこびりついているものがあったりすると思います。


そしてその最初の出会いで感じた疑問が、人生の中でだんだんわかってくる。見えてくる。そんな経験もあるのではないかと思います。


「わかる」には、すぐにわかってスッキリするものと、わからない部分を残しながらもやもやを抱えながらもじわじわわかってくるものの2つがある。このお話は私の潜在意識にへばりついていてくれたことで、その後深い意味を考えさせてくれるメルクマーク(目印)になった。


こうした記憶の蓄積も、私たちの人生を豊かにしてくれるのではないかというお話でした。



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