5月のNHK『100分de名著』では、三島由紀夫の「金閣寺」が取り上げられます。
三島由紀夫といえば、彼が40代の頃に東京の市ヶ谷にあった自衛隊駐屯地で人質をとって籠城し、自衛隊の決起を訴えるも見ていた自衛官らの理解を得られず、その後自決をしたという事件で有名ですが、その奇怪な最後とともに、戦後の代表的な「大作家」という評価もある方です。
私はこの両極端の評価がある大作家について、恥ずかしながらこの年まで触れることがなかったわけですが、心理検査であるロールシャッハテストを学ぶ者として、この大作家は完全に無視できない存在でもありました。
それはこの三島由紀夫が、ロールシャッハテストの教科書で扱われているからです。名前は伏せられていますが、片口法の教科書にある「ある作家」の検査結果は、今では三島由紀夫のものであることが知られています。
そんな私がこのたび、5月の『100分de名著』を足ががりに、彼のことを知ってこうという魂胆があります。
そして今回の講師は、作家の「平野啓一郎」さんです。表紙には「絶対性を滅ぼす」「言葉と現実の解離が、男を破滅へと向かわせる」との大見出しが興味をそそります。
テキストを読んでまず私が注目したことは、三島由紀夫の「戦争体験」でした。
戦後生まれの私達世代は、「戦争は悲惨だ」「戦争を繰り返してはいけない」と平和教育を受け育っています。そのために悲劇を繰り返さない平和な世の中を維持することが、大人の責任だとも感じています。
しかしながら、この作品を通して「平野啓一郎」さんが繰り返し指摘するのは、三島由紀夫の戦争体験が読み取れるという話。これは戦争に対して私達一般市民が感じている「平和主義」的な発想とは対局の、三島由紀夫自身の個人的葛藤の問題でもあるようです。
彼は天皇を神とし、神のためには命も惜しまない国民感情の中で育ちました。そして20歳になって徴兵検査を受けた際に、たまたま引いた風邪を肺病だと誤診されに徴兵免除となっています。
現代の感覚からすると「ラッキー」な話ですが、この経験は三島由紀夫にとっては「劣等感」を生むものになってしまったそうです。戦争のためにお国のために命を懸けることが「美」だとされた、当時の「絶対的」な価値観を生きられなかった自分。外れてしまった自分。この事が、彼の「戦後」も含めて生きづらにつながっていった。
「終戦」によって敗北難を味わった日本人は、その後飛躍的な復興を遂げて「高度成長期」につなげたという意味で、幸福を享受したイメージがありますが、しかしそうした「回復」を十分に果たせなかった人たちもいたのかもしれない。つまり「絶対」が崩れて「自由」が現れたときに、人々はすぐにそれを受け入れることができるのかという問題。同時代の哲学者であるサルトルは「人間は自由の刑に処せられている」という言葉を残しましたが、この作品の主人公は、「終戦+戦後」という急激な時代変化に十分に適応できず、新しい変化や価値観を我が物に出来なかった人の代表として描かれているようです。
さて、まだまだ長くなってしまいそうなので、この続きはまた次回に。
※昭和25年7月に消失する直前に撮影された「金閣寺」。3層目には金箔が貼られているが、その下層は今と違い木目が露出している状況である。
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