3分で名著《ヘミングウェイスペシャル「老人と海」「敗れざる者」「移動祝祭日」》(NHK『100分de名著』より)

テキストの表紙のは、「『男らしさ』の裏側」「弱さを抱えつつ多様性を拓く」という見出しが並んでいます。


ヘミングウェイ(1899-1961)は、「老人と海」を書いた後にノーベル文学賞を受賞した、「アメリカ文学」を代表する作家です。それほど世界的に評価されている人物でありながら、その内実に触れるのは私は今回が初めてです。


ヘミングウェイはビジネス的にも成功を収めた作家でありながらも、その背景には個人的な問題やコンプレックスが隠されていたのだそうです。


その一つは、彼が子どもの頃に母親から女の子として育てられていたこと。


もう一つは、彼が若い頃に第一次世界大戦における兵役を志願した際に、弱視などの問題から軍隊に入れてもらえなかったこと。


以前、同じく「3分de名著」に取り上げられた三島由紀夫を紹介しましたが、偶然ながら彼にも全く同じコンプレックスがあったことを思い出された方も多いかと思います。


2人の生育歴に共通していることは、女の子のように育てられたことが原因で性的なコンプレックスを抱え、成人になると過度に体を鍛えたり、戦争に憧れるなどして過剰な男性性を得ようとして必死になること。


自分の弱さを隠すために自己愛を肥大化させて、その狭間で苦しむ。その思いやゆれが作品に表現されるという共通点があるようです。


一方で三島由紀夫とヘミングウェイの決定的な違いは、同じような境遇でいながら、あるいはその中での葛藤を作品に投影していながら、その作品の「終わり方」が全く違うというところです。


以前扱った三島由紀夫の「金閣寺」は、主人公が自分とは対極的な生き方をする登場人物に出会いながら、心の揺れを感じつつ、しかしその動揺に耐えきれなかったのか最後に自分の憧れであった対象物を破壊する(金閣寺に放火する)という終わり方をしています。


しかしヘミングウェイの作品では、主人公の敗北の後で、その生き様を次世代に受け継ごうという意図の作風があるそうです。


トラウマの治療において、その問題に直面化していくことは実は大きなリスクもあります。つまりは自分の価値観の転換や否定という課題を前に、三島の作品ではそれが破壊に向かい、ヘミングウェイの作品では戦い抜いた中での敗北を人々と共有するという情緒的なラストシーンになっていく。


三島由紀夫は市ヶ谷の自衛隊駐屯地に潜入し、総監を人質をとった上で自衛隊員を前に軍隊としての蜂起を訴え、それを全く聞き入れずに批判をされた後に絶望をしてその場で自決をしました。


これを「自分の気持ちをだれもわかってもらえなかった」という絶望の物語として捉えると、ヘミングウェイの作品は「世の中にはわかってくれない人もいるけれど、多くを語らずしてもわかってくれる人もいるんじゃないか」という、救いのメッセージとも読み取ることができます。


またこれは「みんなに全部わかってほしい」という自己愛的な願いが「かなわない人生」をどのように生きるのか?、という人間の普遍的な葛藤の扱い方の違いとしても対比することができそうです。


人間の成長は、徐々に人生の困難さや残酷さに直面し、その「痛み」を理解者と分かち合いながら、その大変さを受け入れていく過程でもあります。しかし、トラウマはその痛みを急速に与えすぎたり、理解者の不在や迫害によって生じてしまうものです。


三島由紀夫もヘミングウェイも共に人生のトラウマを抱えていました。その傷が十分に整理されないまま、三島由紀夫だけでなくヘミングウェイも悲劇的な最後を遂げてしまったのですが、彼らの文学作品にはその悲劇を繰り返さないための様々なヒントがあるように思いました。


特に私にとっては、三島由紀夫とヘミングウェイの対比は、心の痛みをどのように軽くしていくのか?、理解とはか?、トラウマの治療とは何か?、を考えさせてくれるものでもありました。