映画の紹介⑪「劇場版『鬼滅の刃』無限列車編」

子どもたちに大人気。鬼滅の刃の映画版のお話。


タイトルにもある「無限列車」というお話は、漫画版の8巻あたりの内容を取り出したものらしく、特に目新しいストーリーではないものの、観客動員がうなぎ登りなのには何か訳があるのだろうと思いながら鑑賞いたしました。


まずは、映像の美しさに感激。私達が子どもの頃に見ていたアニメとは大違い。遠近感や空気の透明性までうまく表現されていて、実写にも負けない。CGなんかいらないんじゃないかなって感じのクオリティーでした。日本のアニメ技術にまずはあっぱれ。


さて内容的には、「夢」「無意識」「家族」なんてテーマがてんこ盛りなので、心理の専門家としても興味津々です。


ストーリーとしてもなかなかいいところついているように思います。辛い現実を避けるため、過去の栄華を取り返せる夢の中でのみで生きようとする「人間」の闇の部分を描いていたり、そうした中でこれが夢だと気がついて必死に現実に目覚めようとする主人公「炭治郎」の葛藤を描いていたり。それはそれは興味深いテーマがあるわけです。


またこの物語のもうひとりの主人公である「煉獄杏寿郎(れんごくきょうじろう)」の生い立ちにも触れられている点がまた興味深い。“父親に努力を認められない息子”という普遍的な人間ストーリーを持ち、彼の無意識の中では炎が燃えていて、早く亡くした母親の思いを背に戦うというストーリー。


ちなみに彼の名字である「煉獄(れんごく)」にも、隠された作者の意図が含まれているように思います。この言葉、日本人にはあまり馴染みがないのですが、実は西洋人、特にキリスト教徒(カトリック)が聞けばピンとくる言葉なのです。


「天国」と「地獄」って私達は何を意味しているかわかりますよね。でもキリスト教の考え方には、この間に「煉獄」って世界があるんです。「煉獄」とは亡くなっても天国に行けなかった人が生前の罪を悔い改めて、天国に行けるようにする場所でいわば再チャレンジの場でもある。こうした考え方があったので、あの宗教改革のきっかけとなった贖宥状(免罪符)の問題も生まれたと言われています。


なので煉獄さんの物語は、実は私利私欲を排し人々のために命を捧げるという、西洋的な「ヒーロー物語」の色合いが含まれているのではないでしょうか。つまりは善を尽くして人々を救い、正義とは何かということを考えさせるメッセージが込められている。


しかしながらその一方で、彼の無意識が炎として表されていた点も見逃せない。映画の中ではあまり表立ったストーリーではないと思いますが、私としてはそこにギリシャの古い物語「オイデプス王」における主人公オイデプスの父親との葛藤劇を見いださずにはいられない。


「オイデプス王」の物語は、臨床心理学の祖「フロイト」が人間の心理における普遍的テーマとして紹介したものでもあり、「母への愛と父殺し」というテーマがある。こうしたタブーをもとに主人公オイデプスは葛藤し、最後には自らの両目を突き失明するという「悲劇」に終わる。


かつて持っていた正義感を捨て厭世的な生き方をする父と、命が短いことを察して強く生きるよう子どもに希望を託す母の間の葛藤に揺れ、最後に「煉獄杏寿郎」は命を落とすという内容は、どこか悲劇でもある。そんな主題をこの作品から読み取ることができるのではとも思いました。


つまりこのストーリーには正義感をベースにした「ヒーロー物語」の意味合いと、親子の葛藤を背景とした「悲劇」という両面がある。うーん、深い。


他にも「人間」は自分の罪を捉え直して改心できるけど、「鬼」は相手のせいにして考えようとせず最後は逃げるみたいな、現代の私達大人の心の問題を痛烈に指摘しているようなテーマもあったりして、いろんな事を考えさせてくれる作品でした。


小中学生たちは、それぞれこのを映画を見てどんなことを思ったのでしょう?。


「ヒーロー物語」なのか、「悲劇」なのか、はたまたその両方なのか?。いずれにしても、彼らがもうちょっと成長して大人になると、辛い現実を避けるため、過去の栄華を取り返せる夢の中でのみで生きようとする「人間」の闇の部分にも興味が向いたり、「理想」と「現実」にもがく自分自身を文学作品等を通して見つめるような『次の成長』があったりするのかもしれません。


それから例えば親を早く亡くした子どもたちにも何かメッセージを与えたんじゃないかな。何人かのそうした子どもたちの顔が思い浮かびました。