『神経症の時代、統合失調症の時代、自閉症の時代』②

前回社会学者の宮台真司さんのお話を元に、『自閉症の時代』ということでそれを生む時代背景について触れました。今回はその続き。


前回の宮台先生の話をもとに、もう少し理解を深めてみたいと思います。やや難しい話にもなりますので、ご容赦ください。


この事を理解するには、フランスの精神分析家「J.ラカン」の「妄想」の概念を知る必要があります。


ラカンは、「妄想」を社会規範にまで拡大して理解しようとしました。つまり「妄想」といえば、通常は統合失調症の方々が苦しむ、非現実的な思い込みや被害的感情ですが、実はその逆のものであるとみなされるはずの、社会的に共有された「秩序」、「ルール」、「規範意識」、「法律」でさえも、ラカンは人間が作り出した「妄想」であると考えた。


ここで何を言っているのかほとんどの人はわからなくなってしまうと思いますが、例えば私達が子どもの頃に常識だった「運動中は水を飲むな」という根性論をベースにした考え方。あれは今思えば全く根拠のない「妄想」だったわけです。しかしながら当時の多くの人々は、そのことに疑問を感じず、苦しみながらも受け入れていた。時代が進みクーラーが普及していって、水分不足が「熱中症」の原因だとの理解が浸透した現代においては、「水を飲むな」は死にも至る危険な「妄想」だとわかる。このことだけでなく「ある時代の常識」の多くは「妄想」だったことも多かったかもしれませんね。


これをさらに拡大して、すべての人間が考え出すルールや規範さえも「妄想」だとした際に、何が考えられるか?。


つまり人間は、社会は、「妄想」を共有することで成り立っている。真偽を精査することなく受動的に「そうだ」と思いこむことが大事で、それが社会の共通理解となって、信じる者は安心感が得られる安定にもつながるという構図。これは特に「絶対王政(封建社会)」の時代や「キリスト教が絶対視されていた時代」、つまりは中世ヨーロッパにおいては非常に堅固なバランスシートになっていたわけで、日本でも江戸時代にはこうした考え方を背景に社会の平和を生んでいた。


しかし一方で、こういった時代は考えることへの「抑圧」を生む面もある。社会の秩序を維持するためのプレッシャーが発生し、それとは違う「自分の意見」などは持ってはいけない。万が一「自分の意見」を持つと、秩序を乱す危険因子のようにみなされ社会から否定されたり排除されたりするリスクが生まれる(「村八分」)。ただこれが近代以降になると、自我や自立、自由などが謳われるようになって行き、個人の考えと社会秩序の圧力が拮抗する時代になっていった。つまりは「抑圧」を背景とした「葛藤」に苦しむ人達が出てきた。これが20世紀初頭のヨーロッパで神経症が増えた時代的背景なのです。


更にこの後、人類は2度の「世界大戦」を経験しました。ここで起こったことを「妄想」の概念で捉えると、ナチスドイツのユダヤ人迫害に見られたように、人々が「あいつが悪い」と敵を作って、その敵を壊滅させようとした経験(カール・シュミットの「友敵図式」)と捉えることができる。またそれは、昨今のトランプ現象吹き荒れたアメリカでも、これが一部市民の間に広がったわけです。


この理由を宮台先生は、『妄想の共有可能性が信頼できなくなることからくる』問題だと説明されたわけです。


一旦整理すると、「妄想(≒社会規範)」は大多数の人に共有されてはじめて安心感が生まれ、それが「常識」となる。しかしその「妄想」が強制力のあるものとなる一方で、時間経過とともに段々と時代背景にそぐわなくなるという不安定な現象を生む。この不安定さを解消するために一種の「秩序回復運動」が生まれる。つまりこの頃は、まだまだ社会規範を支持する人が大多数なので、少数派に対して「無理やり」言い聞かせるという「抑圧」以上の強制性というか「強要」「迫害」が増えていく。その結果「被害妄想」も増えていって、統合失調症的が増えていく。


ここで重要なのは、先の「被害妄想」が統合失調症の人特有の「症状」だけではないということです。少数派が迫害され、そうした人の中に「被害妄想」が増えるのは理解できることだと思いますが、一方で一見正常だと思われる人のに側にも、社会秩序が壊れていくことへの潜在的な不安があるわけで、この不安が病気じゃない人たちにも「被害妄想」を生んで、社会全体に冷静な判断を困難にさせる素地が広がっていくということなんです。


実際統合失調症における家族研究においては、病気ではない家族の方の中にも、考え方に偏りがあったり被害的な感情の強い人がいることが明らかとなり、本人の治療に加えて家族教育の重要さも強調されるようになりました。


『統合失調症の時代』理解においては、病者自体をスケープゴートにするのではなく、自分たちは正常だと思いたがっている「普通の人たち」の心の問題にも目を向ける必要がある。そうでなければその「普通の人たち」が秩序維持のために行う「あいつが悪い」の恐ろしさに気づかず、取り返しのつかない問題に進んでいってしまう可能性がある。そうした教訓を私達は歴史から学ぶ必要があるのではないでしょうか。


ここまで『神経症の時代』『統合失調症の時代』の説明でした。では次回は、さらに時代を勧めて現代の『自閉症の時代』の解説をしたいと思います。