「パラドックス」の話

さて前回の「逆説」の話の中で、「パラドックス(日本語訳=逆説)」について少し触れました。今回はその話を具体的にしてみたいと思います(ちょっと内容的に難しい部分があるかもしれませんので、わからなくなったら最後の「まとめ」から読んで見ると整理されやすいかもしれません)。


※前回記事;人生における「順接」と「逆説」

https://www.hizurashicounseling-shizuoka.com/post/人生における「順接」と「逆説」


「哲学」や「倫理学(=善悪の境界線など人間の行動規範を考える学問)」、「論理学」では、この「パラドックス」を用いて、人間が抱える矛盾や齟齬に触れ、そうした際にどのように考えたらいいのかということを学びます。


これは前回の話にも通じますが、常識が成立する範囲だけで人生が進めば人々は心の問題を抱えなくても良いのですが、時として自分の常識が通じない状況に私達は陥ることもある。そうした際に、常識を超えて(常識を一旦脇において)物事を考えられるようになることが必要になることがあるわけで、そうした思考実験を「パラドックス」は教えてくれるわけです。


今回はパラドックスの話を2つ紹介します。


【エピメテウスのパラドックス】


1つ目は「エピメテウスのパラドックス」というお話。


《古代ギリシャの哲学者、エピメテウスは「クレタ島の人はみな嘘つきだ」と発言した》


この何がパラドックスなの?。と思った人は多いと思います。しかしこれを発言したエピメテウス自身がクレタ島の出身者であった、という前提が加わることで矛盾が発生します。


その前提がなければ「クレタ島の人はみな嘘つきだ」という話は、クレタ島のみんなが嘘つきだから気をつけなさいという話で終わるわけです。しかし、エピメテウス自身もクレタ島出身者であるということは、エピメテウスの発言自体も「嘘」ということになります。


そうすると、「クレタ島の人はみな嘘つきだ」という発言が「嘘」になるので、真実は「クレタ島の人は嘘つきではない」ということになります。


つまり『エピメテウスは嘘つき』だから、彼の発言の逆が常に正しいとなる。それもみなさのわかりだと思います。


でもよく考えてください。「クレタ島の人が嘘つきでない」とするならば、クレタ島出身のエピメテウスも嘘つきでないはずで、エピメテウスの発言の逆が常に正しいという話にも矛盾が出てしまう。


はい、皆さんここでジレンマに巻き込まれてしまいました。


この話、クレタ島の人たちは「嘘つき」なのか「嘘つきでない」のか、その判断を皆さんで考えてみましょう。一体『どっちが正しい』のでしょうか?。


・・・・・・(10分)


【「正しい」か「正しくないか」以外の第三の答え】


さて、10分考えて結論に至った人はいないのではないかと思います。


実はこの話、「正しい」か「正しくない」かの答えを見つけようとしても一生答えが出ません。


つまり「正しい」か「正しくない」かの通常我々が生活の中で行う判断や二分法では答えに行き着かないという話なわけです。


そもそもこのパラドックスは「自己言及のパラドックス」とも呼ばれ、ある真偽(合っているか間違っているか)の判断に『自分を含めて言及しようとする』と、真偽の判断が不可能になってしまうという問題なのです。


高校で理系の勉強をした方々は、『集合』の問題の中で、「ただしその集合は、自らをその集合の中に含まないものとする」という記述が常に書かれていたことをご存知だと思います。


これこそ「数学」における「自己言及のパラドックス」で、もしも答えを導き出す集合に、その集合自体を含めてしまうと、パラドックスが生じて答えが出ない状態になるからわざわざ最初からことわっているわけです。


ここまでまとめると、こうした特殊な状況(自己言及のパラドックス)においては、答えは『出ない』というのが正解になるのです。うーん、ずるい。


【アキレスと亀のパラドックス】


2つ目は「アキレスと亀のパラドックス(ゼノンのパラドックス)」というお話


これまた古代ギリシャにゼノンという哲学者がいました。彼はとある人間である「アキレス」さんと、「亀」と追いかけっこをして、どちらが勝つか考えました。


(そんなの人間であるアキレスさんが勝つに決まっているよね!)


さて、「アキレス」さんはヨーイどんで一緒にスタートしても、どう考えても自分が勝つことが目に見えてわかるので、情けで「亀」さんにハンデを与えることにしました。つまり自分とゴールの中間地点を「亀」さんののスタート地点にしたのです。


号砲一発、競技が始まると「アキレス」さんが「亀」さんのスタート地点まで到達しましたが、そうすると「亀」さんは「アキレス」さんのちょっと前に進んでいます。そしてまたその「亀」さんがいたところまで「アキレス」さんが到達すると、「亀」さんはその前に出ています。その地点に「アキレス」さん着くと、また「亀」さんはそのちょっと前にいる。これを繰り返していると、一生「アキレス」さんは「亀」さんに追いつかない事がわかってしまいました。



【何言ってんの?】


皆さんこの話、「何言ってんの?」って思いましたよね。


つまり、追いつかないわけないじゃん。いつか普通に追い越すでしょ。って思いましたね。


『常識的』『経験論的』に考えて、時間が経てば必ず「アキレス」さんは「亀」に追いつき、その横を風のように通過して、後方に追いやるでしょうとおもいますよね。


そう、それが『常識』なのです。安心してください。


しかし今回の話は、その常識に捉えられて答えを出す事が重要ではなく、一生追いつかないという「この考え方(前提)」が『斬新な(あったらしいい!)』のです。


【『斬新』な考え方と『新たな可能性』】


さっきの「一生追いつかない」考え方、「時間の切り取り方がおかしい」と気が付いた方いらっしゃるとおもいます。


追いつく考え方では、時間を「等間隔」にして切り取れば、いつか「アキレス」さんが「亀」を追い越すことが予想できますよね。しかし追いつかない考え方では、時間を「徐々に短くする間隔」で切り取っている。すると「アキレス」さんが「亀」さんに追いつく点までに「無数の間隔」を作ることができてしまう。


しかしこの「切り取り方」が、後に大きな発見につながるわけなんです。


さっき言った「無数の間隔」というものは、後に数学者によって「無限(小)」という概念を生むきっかけとなった。またその結果、18世紀には「ライプニッツ」や「ニュートン」らによって、『微積分』が発明される流れにつながった。


思い出してください。先程のゼノンは古代ギリシャの哲学者でしたね。つまり人々は、2000年間この問題を考え続け、現代のテクノロジーを支える重要な新しい学問を生み出すこととなったわけです。


古代の人が「何言ってんの?」で片付けてしまったら、私たちのこの豊かな生活はなかったのかもしれません。


歴史のロマンがそこにはあるのがおわかりですね。


【今回のまとめ】


「パラドックス」の特徴をまとめると、


①「常識」を覆す事態(出会い)である。


②新たな考えを生み出す必要性が生じる(それまでの自分の「