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執筆者の写真Norio Tomita

3分で名著《孔子「論語」》(100分de名著より)

『われ十五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順う。七十にして心の欲する所に従って、矩(のり)をこえず』


今回は、今から2500年ほど前に活躍した、孔子の「論語」についてご紹介したいと思います。


ちなみに2500年前といえば、日本は弥生時代の始まりくらいの時代。稲作が始まった頃なんですね(ちょっとびっくり)。そんな時代に活躍したのが、かの有名な「孔子先生」なのです。


本を読んでいろんなことがわかりました。よくある誤解の一つが、孔子の教えは「儒教」などとも呼ばれるのですが、これは実は”宗教”ではないということ。中国や日本には「孔子廟」などという霊廟があったりもするので、何となく宗教と勘違いしてしまいますが、生き方や道徳を説く一つの思想(教え)という位置づけだそうです。


また孔子の教えは、時代によっては国家を維持するための「道徳」として用いられた歴史があり、時にそれはその国家にとって都合の良い思想に利用されたこともあったそう(「君主や親に従え」的な)。


本当に孔子が伝えたかったことが何なのかということを、今回の講師である「佐久協」先生は紹介されています。以下に主な大見出しを並べてみます。


「まっすぐに生きよ!」

「結果よりも過程が大事」

「自己中心はジコチューにあらず」

「若者への応援歌」

「学問のすすめ」

「温故知新で考えよ」

「中庸のすすめ」

「良いリーダーの条件」

「思いやりと言行一致」

「人は万能でないと思え」

「挫折だらけの人生」

「逆境に燃える」

「生きがいを持て」


こう並べて見るだけで、この本の内容が大まかに理解できる感じがあります。この中からいくつかのキーワードを取り上げたいと思います。


「自己中心はジコチューにあらず」という話は、自分を大事にできる人が、人も大切にできるという話でした。人に思いやりをかけられる人は、自分も思いやることができる人。この自分に対する「思いやり」とは、「自分を励まし、自分を磨くこと」だそうです。


また「中庸のすすめ」で扱われる「中庸」とは、極端な考えになるのではなく「ほどよく生きる」「バランス感覚を持って生きる」ということだそうです。この「中庸」という考えは、孔子思想における代表の一つでもありますが、同時代のギリシャの哲学者「アリストテレス」も同じような考えを持っていたそう。つまり古代の文明人にとって、生きていく知恵として重要な考えの一つだった。


『過ぎたるはなお及ばざるがごとし』

(やたらに突き進めばいいってものじゃないよ。やり過ぎは、やり足りないのと似たりよったりだ)


しかしこれが「言うは易し、行うは難し」で、ついつい人は冷静な判断を失い、極端な発想やフェアでない評価をしてしまいがちになる。この普遍的な人のあり方は、後に19世紀の心理学の発展などで、その精神的なメカニズムが明らかされ、扱い方が示されていくまでは、孔子の言葉などを用い、「戒め」「教え」として人の心に意識的に留められるよう工夫されていたのですね。


後半の「挫折だらけの人生」という部分では、孔子の苦難の人生について触れられています。孔子は若くして学問を志し、政治の世界に足を踏み入れて自己研鑽をしたのですが、自分をきちんと持ったことによって出る杭は打たれるというか、まっとうな評価をされないまま最終的には政治の世界からはじかれてしまったそう。しかしそうした挫折経験が、孔子の思想をさらに発展させ、「弟子の育成」という新たな価値観を大事にして人生の後半を歩んだそうです。


「孔子=偉い人」みたいなイメージは私たちにはあるわけですが、残した言葉だけでなく、その成立の背景にあった「人生の挫折や危機に対しても向き合った」という生き方そのものにも価値があったよう。またそれをきちんと評価した後世の人達の「良心」も偉大であったと、この本を読んで感じました。


『故(ふる)きを温めて新しきを知る もって師となるべし』

(古典や古い考え方を学び、そこに今の考え方を付け加えて考えてみるといいよ。そうすれば自分の行動の指針になるんだよ)


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