3分で名著《大江健三郎「燃えあがる緑の木」》(100分de名著より)

私は子どもの頃から本を読まない人間だったが、大学時代に手に取った大江健三郎のデビュー作である「死者の奢り」が、いわゆる純文学に触れるはじめての機会となった。“死体洗い”というかつて噂に聞いた仕事の内容について初めて触れる機会でもあったので、最初は恐れ半分興味半分という感覚であった。


しかし読んでいくと、先のような衝撃的な場面設定が物語の中心というよりは背景であることわかってくる。つまりこうした背景が、主人公をはじめとした様々な登場人物の心のありようを際立たせる演出となっているのである。例えば堕胎の費用を稼ごうとこの仕事を志願した女学生は、時間が経つにつれ心境が変化し、生きるべくして自分の体内に今まさに存在している子どもを産む決意をして、その際に「嘔吐」する。現実と内面との葛藤を象徴した「嘔吐」には、“汚さ”よりも、サルトルよろしく人間の実存そのものを感じさせる。


さて、2019年9月のNHK「100分de名著」では、この大江健三郎の「燃えあがる緑の木」が特集されている。内容に関してはここでは簡単に触れるにとどめるが、その中でも物語の象徴となる「木」についての説明が印象的である。この木は、アイルランドの詩人「イェーツ」の作品に出てくる木に影響されているのだそうだ。半分は緑で、半分は燃え上がる木。この事が象徴する両義性がこの作品を生き生きとさせていると、ナビゲーターは説明する。細かく書くのはネタバレになってしまうので、この本の中で何度か登場する、イェーツの詩の最初の部分を引用しておく(訳;私)。


「Vacilliation(揺れ動く)」 William Butler Yeats

Between extremities

Man runs his course ; A brand, or flaming breath,

Comes to destroy All those antinomies Of day and night ; The body calls it death,

he heart remorse. But if these beright What is joy?

様々な両極の間を
人間は自分の道として進むものだ
燃えさかるたいまつなのか、それともそれは螺旋を描き燃え上がる人の生そのものなのか
(両極とは)例えばそれは昼と夜とに象徴される矛盾であって
やがて人を破壊へと導く
肉体はそれを死と呼び
心は後悔として体験する
しかしもし、そうした運命を引き受けるとすれば、
生きる喜びとは一体何なのだろうか?