KYって何だろう?

発達障害に悩む人の中には、「自分はKYで、人との関わりが苦手」とおっしゃる方がいららっしゃいます。


KY、つまり「K=空気が、Y=読めない」というニュアンスだそうです。


発達障害の人の中には、大人数の中の会話をすべて均等に聞き取ってしまい、「カクテルパーティー効果」と呼ばれる選択的な音声理解、つまりは重要な人の会話だけ聞き取るという、普通の人なら可能な理解が難しい人たちがいます。


また、そもそも他人の気持ちを読み取るのが苦手な人たちもいます。


なので「KYで困っている」とよくおっしゃるのですが、それはどうも自分の状態を一言で言い当てたキーワードのようになっているようです。


しかしこうした事を言う人達の話をじっくり聞いていると、「K=空気が、Y=読めない」のではなく、「K=空気を、Y=読みすぎ」な人達も存在することに気がつくことがあります。


例えばこんな方です。


自分は人とうまく関われない。KYで人と上手く関われない。先日も自分が失敗をした時に、相手がこっちを見ていた。「あいつは馬鹿だ」とか「あいつはできないやつだ」と思われていると思った。いままでずっと人からそう思われてきたから、あの人もそう思っていただろうと思う。あの人だけじゃなく、みんなそう思っているだろう。それで声をかけても

誰からも無視されるだろうと思った。どうせ自分は嫌われている...


そもそもこの例の方を発達障害にあてはめるのかどうかも議論の余地があるところですが、実は発達障害と一言で言っても、いろんなパターンがあるのではないでしょうか。つまりKYと一言で言っても、「空気が読めない」人と「空気を読みすぎてしまう」人とがいそうです。


しかしややもすると、本人も、周囲の人たちも、こうした問題を報じるマスコミとかも、問題の概略を一言、あるいはキーワードでわかりやすくまとめてしまい、「自分はそうだ!」「あの人はそうだ!」と”ぱっ”とわかったようになりたがる。


こうした即効的・瞬時的理解は、悩んでいた人を「一時的」に安心はさせるけど、根本的な解決を考えるフィールドは生みにくくしてしまうのではないかと思います。


よく状況を整理し、そこに改善の余地があるかどうか、その方法は何であるかを考えるのも専門家の責任であると考えます。しかし”ぱっ”とわかってしまった人には、こうしたアプローチが「余分なこと」と思われる方もいるようで、こうした心理状態自体も発達障害(あるいはそうした人を取り巻く一部の方々)の本質のようにも思いますが、問題解決の基本は発達障害のみならずすべての課題にとって、時間をかけて考え進めていくことが重要だと考えます。じっくりと問題に向き合い、良くなる方法を個別に、また相談者と共に考えていくことを私は大事にしていきたいと考えております。