3分で名著《スタニスワフ・レム「ソラリス」》(100分de名著より)

「わからなさを引き受ける」


100分で名著のテキストの表題に、このような印象的な一文があります。


この作品はSFものであるにもかかわらず、文学的にも奥深い作品なのだそうです。


SFものといえば、かつては一部マニアの人々がひそかに楽しんだジャンルだったようですが、「未知との遭遇」「ET」などの映画が70年代から80年代に作られて、我々一般にも浸透しました。またアポロ11号が月面着陸をして世界中の人々を沸かせたのが1969年。それに先立つ1961年にこの「ソラリス」は出版されたということで、まだまだ宇宙の存在が一般には十分に知られていなかった時代に、作者の「レム」は当時の科学技術における知見や自身の想像力を働かせ、作品を描いたことになります。


そしてその作品に影響を与えた時代背景として、第二次世界大戦後の苦い記憶(ホロコースト)、ロシア社会主義(ユートピア思想の一方で人々を支配したという矛盾)への疑問等、「レム」の母国である「ポーランド」が当時たどった悲劇があった。


ポーランドという国は、我々日本人にはあまり馴染みがない国だと思います。しかし反対にポーランド人にとっては日本はとても親しみのある国なのだそうです(ヨーロッパ有数の親日国)。首都は北方に位置するワルシャワですが、レムが長年過ごした「クラクフ」は、国の南側に位置する古都でもあり、郊外にあるオシフィエンチムという街は「アウシュビッツ強制収容所」があったことでも有名です。オーストリアとドイツ、ロシアに挟まれたこの地域は、2回の世界大戦に留まらず何百年もの間、戦場となり「国」や「民族」というアイデンティティーが常に揺らぐような時代が続いたのだそう。


こうした様々な地勢的な背景と、レムの描いた「宇宙」の大スペクタクルがどのようにつながっていくのか?。


解説者の沼野先生は、物語の核心の1つは「人間が未知なるものに出会った際にそれとどう向き合うか」ということだと説明されます。


惑星「ソラリス」へ調査に向かった科学者たちは、まさにこうした問題に向き合っていました。人間の最大限の知性をし発揮し、「ソラリス」の謎を何とか解決しようとしましたがそれは叶わず、問題解決を進めようとすればするほど次々と起こる不可解な現象を前に、ある者は精神の異常をきたし、ある者は自殺するような極限の状態に陥りました。


その中の研究者の1人「クリス」も同じような不可解な体験に遭遇していました。それはかつて自分が裏切り自殺にまで追い込んだ恋人が、突然自分の前に現れる。いろいろ調べてわかったことは、それは恋人でもあり、惑星「ソラリス」自体でもあるという、これまた不可解な二重性。それだけでも意味不明なのに、恋人は何度も何度も生き返ってクリスの心の問題をえぐり出す存在となる。日本で言えば井戸の前に立つたびに現れる、「うらめしや〜」のお岩さんの世界。


しかしこの作品では、「その霊に呪われてクリスは死に至る」みたいな怪談的な終わりにはなりません。クリスはこの恋人と何度も出会うたびに、この体験が何なのかを科学者的に考えるようになる。そしてその事自体が、惑星「ソラリス」という存在を解明する鍵だとも考えるようになるのです。


さてここまでの話、とっても摩訶不思議。これがなぜ世界的に評価される作品なのか正直わからないと思います。本当はこの本を何度も何度も読んでいくと、その素晴らしさが見えてくるのだとも思いますが、ここでは100分で名著を参考に解説を。


1つは先にも触れたように、当時のポーランドや世界が経験した、戦争を背景とした多くの矛盾や不幸、不条理があるということ。戦争などは、一部の人間の私利私欲によって人々の自由や人権はいともかんたんに踏みにじられ、命を奪われるということもある。あるいは、感染症や災害などもそうですが、突然やってくる「運命づけられた不幸」に人間は巻き込まれてしまうことがあるということをどう考えたらいいか、考えさせてくれる作品だということ。


そしてもう1つはこの作品が、20世紀初頭の心理学者および精神科医であるジークムンド・フロイトの「精神分析」に紐付けられて理解された作品であるということ。フロイトの業績は様々あるのですが、代表的なものは「無意識」の発見。つまりは人間には、自分を把握できる「意識」以外の理解・操作が難しい「無意識」という領域があって、それ故に人は悩んだり苦悩するのだということを説明したわけです。それは「未知」の部分とも呼んでもいいかもしれず、その結果人間は意図しない思わぬ出来事を経験する。


この事が「ソラリス」の前半で起こった問題ともつながっている。つまりは「意識(知性)」で未知なるものを征服しようとすると、無意識の逆襲にあってしまい、より混沌に引っ張られてしまう。そして「繰り返し繰り返し」という問題のループにはまってしまう。


もう一つキーワードが出てきました。「繰り返し繰り返し」という問題。これはフロイトの理論では、「反復強迫(はんぷくきょうはく)」として説明されている。


「反復強迫」について簡単に述べれば、問題解決においてこの「繰り返し繰り返し」は起こるもので、それにうんざりしたり無力感を感じたりするのではなく、克服の手立てとしてその意味を考えていくというのが「精神分析」における「治療」の重要の要素となるわけです。


恋人が何度も生き返ってクリスの前に蘇り、最初クリスは苦しむ。しかしクリスはある時からこの問題から逃れるのではなく、向き合おうと決心する。しかし向き合ったとしても、結論はすぐには見えない。わからない。そこから生じる無力感。絶望。さみしさ。そして、むなしさ...。


そうしたはてしない感情の海の中で、彼は感じ考え始める。そもそも今自分が素直に感じている、「『わからなさ』を引き受ける」事の意味について...。


このあたりは悩みにとっても大きな分水嶺ですね。無力感、絶望、さみしさ、むなしさの結果、私達は自分の人生について呪ったり、「あいつが悪いから自分は不幸なんだ」と相手に怒りを感じたり、絶望感で自分を傷つけたり、「うつ」になったり...。


しかしもう一つの道もある。それは、その事自体をまるごと受け入れて、人生を歩んでいくという姿勢。ありきたりの言葉で言えば、「あるがまま」を受け入れるということでもある。


後半の物語がこのような流れとなっていく中で、先の摩訶不思議な話の内容も、そこに至るための「振り(前段)」のようなものにもなっていく。


皆さん。特に今悩みを抱えている方。何度も何度も自分を取り巻く問題や不幸、不条理が繰り返しあなたの周りで起こっているかもしれませんね。しかしそれは、決して「呪われている」とか「見放されている」わけではなく、あなた自信が何かに気がつく試練のようなものなのかもしれません。その事に気が付き、考え、自分を変えていくことによって、その問題は「振り(前段)」にもなっていくのかもしれません(こうしたプロセスはやはり、精神分析的心理治療の要だと私も思います)。


そんな事を考えさせてくれる作品が、この「ソラリス」だと。


うーん、深そうだ。