先日NHKの日曜美術館で雪舟の特集を、現代美術における代表的存在である「李禹煥(リ・ウファン)さんの解説とともにやっていました。
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我々世代は、雪舟が「柱に縛られその涙でネズミの絵を描いた」という伝説(寺に修行に入る中で絵ばかり描いて他のことをしない若い雪舟に罰を与えた和尚だったが、縛られてもなお涙で絵を描こうとする雪舟の熱意や才能に気が付きその後は理解を示すようになった)を聞かされ育ちましたが、彼が日本における水墨画の大家であり天才でもあることはよく知られているところでもあります。
しかしこの水墨画という世界は、なかなか奥が深そうでよく分からない世界でもあります。番組ではその辺りをいろいろと深掘りした話も聞けました。
雪舟が生きた室町時代は、京の都では応仁の乱が続く不安定な時代でもありました。雪舟はこうした中、岡山→京都→山口→中国(明)→山口→大分→島根と日本各地で活躍します。李さんは「あの時代にあれだけの移動を行った人物はいない」ということで、広い視野で様々な知見や価値観に触れ、自分の創作に取り入れていった雪舟の背景をもとに、作品を理解されようとされていました。
また中世後期という時代は、ヨーロッパを含めて人々の心に「自我」という心が芽生え始めた時代だともおっしゃっています。それまでの王様(領主)のいうことを聞いて、宗教的な価値観に従い集団的な規範に従っていれば何とか生きられた時代から、徐々に個人が「自分(個性)」について考え始める。「自由」という概念も近代以降生まれた新しい概念だとされていますが、そうした近代自我の始まりとして雪舟を位置付けることができるのではないかというのが李さんの視点。
またそこには、自分のわかっていることだけが全世界ではないという自覚の中で、自分の枠の外にある考え方や視点があることをを知る大切さもある。こうしたことが雪舟が80歳の頃に描いたとされる「天橋立図」から読み取れるとのことでした。
「天橋立図」はその遠影を俯瞰の視点から精緻に描いている。地勢的にこの俯瞰を地上から確認することは不可能なので、画家の視点を空中に置き、その想像の中で遠影図を描かなければならない。この視点は、空撮が可能な現代人には何の違和感もないものだけど、室町時代にそのような視点を空想することは万人にはできなかった。“広い視野”が可能な雪舟だったからこそ描けた作品なのではないかというお話でした。
日本の代表的な雪舟研究者の一人、学習院大学教授の島尾新先生は「雪舟が各地を訪れたのは単なる漂泊ではなく、軍事・外交政策のための地理調査と関連があったのではないか」との考えを示しているそうです。もしこれが事実なら、地図調査の中でも彼の“広い視野”は生かされた可能性があるわけです。
「自分が見えている世界の外にも世界がある」という広い視点は、ついつい自分の考えだけで物事を判断してしまいがちな現代の我々にも響く言葉でもあります。そうした中で、独善的ではない創造的で開かれた「自我」を育んでいきたいものだと思いました。
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