臨床心理学の面白さ

私は臨床心理学という学問が好きです。臨床心理学は人のこころを理解する学問ですが、ご案内の通り人のこころというものは、そこに「ある」わけでなく、移り気で、環境によって左右され、多重人格的で、とらえどころがないものでもあります。


しかしその事が実は臨床心理学の最大の面白さだと思います。つまり「こうだ」という決定的な理解だけで成り立っているわけでなく、いろんな考え方がある学問です。さらに深い理解のためには、文学、歴史、哲学、生物学、最新の科学の理解が役に立つこともあります。


例えば最新の科学は、100年前にかのアインシュタインが「相対性理論」を発見して以降、“多重的な理解が無矛盾で並立可能である”ことを追い続けています。それに先立つニュートンの考え方では、“真理はただ一つだけ”と考え、唯一の「正しい答え」を追い求めてきました。しかしこれは「近似」の結果であり、物事をわかりやすくするためには重要ですが、実際世界はもっと複雑に振る舞っているわけで、一つの答えのみを追い求めようとすると、それに引っかからない(無視される)問題、あるいは社会的には少数派やマイノリティといった差別の対象が必ず生まれてしまうということがわかり始めました。


これをこころの問題に置き換えてみると、人間のこころには「正常」な状態があり、精神的な問題や不登校等社会的不適応などは「異常」と考えるのが一般的ですね。この考えは自分自信に問題がなければいいのですが、一旦こころの問題を抱えたりすると「自分はみんなと違うのだ。普通じゃないんだ」と思って不安がさらに大きくなってしまう。


人間が社会的な生き物である以上は、「常識」とか「こうあらねばならない」というプレッシャーは不可避だと思いますが、こころの問題に直面した際にはこうした「一般的な考え」がむしろ回復にとって「邪魔」になってしまう。私達は人間が人間らしくこころと付き合い生きていくためには、一つの答えに執着するのではなく、「正常」も「異常」も両方無矛盾に並立させなければならないのです。


ちなみに中学生向けの悩みの授業を行う際に、「悩みを持つことは変ではない」「大人になるための第一歩」と伝えると、多くの子どもさんはホッとするようです。これを知らない多くの子どもは「自分ひとりだけがおかしいのではないか」と考え、孤立感を強めたり不安を感じている。それが一旦「みんなもそうだよ」と知ることができると安心して「悩みをどう生きるか」という次の課題に取り組むようになっていくわけですね。


そして「自分が変ではない」とわかった次の段階が臨床心理学の入り口となっています。臨床心理学の「祖」であるフロイトという人は、病気は無駄なものではなくその「症状」こそが自己理解の入り口だと考えました。この発想がしびれますよね。世の中に無駄なものはない。一見無駄だと思うものの中にこそ、物事の本質があると言っているわけです。


例えば、他人の話をよく聞いて丁寧に困った人を援助する人が、突然難聴になって耳が聞こえなくなったとします。人の話を聞くためには、耳が聴こえないことはあってはならないわけで、この症状はその人を非常に不安にさせるわけです。しかしこの人の「症状」は、実は人の話を聞くことを「拒否」したいという、その人が気がつこうとしない気持ちの現われでもある。


こうした人は子どもの頃から他人を助けることが自分の生きがいと感じ、例えば夜中でも知人から電話がかかってきたら寝る時間を削ってでも話を聞くような人がいたりもします。「自分が助けないと相手はダメになっちゃうんだ」「自分がちゃんと話を聞かないから、この人は良くならないんだ」みたいに自分を責めていたりもする。


しかしよく考えてみてください。人を助けるだけで、あなたは自身は大丈夫なの?と。あなたも助けてもらいたくはないの?と。自己犠牲と途方も無い努力の果てに、「もういや」「自分だって助けられたい」という思いが症状となって現れていると理解することもできます。


フロイト流に言えば、この「抑圧(我慢)された無意識の思い」が症状を形成していて、それを意識化することで変化する可能性があるというわけです。なので「人を助けたい」という思いだけでなく、「自分も助けてもらいたい」という相反する気持ちを両立させ、生きていくことが大切なのです。


例えばこういった人はカウンセリングを受け、自分の無意識的な思いを理解するようになって、行動的にも他人の相談にある程度対応しながらも、夜中の電話に対して「今は寝る時間だから、明日の9時にまた電話ちょうだい」と言えるようになって、この症状が収まっていくなんてことがあります。


さて、いかがだったでしょうか。臨床心理学の魅力の一端が皆さんに伝わったのであれば幸いです。




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