ゲーム障害(依存)とこころ (私たち大人にできること)

子どもたちにゲーム依存の影が近づいています。


『フォートナイト』や『荒野行動』といった、シューティング系(銃で敵を倒す)ネットゲームを熱心にやっていた世代は、1年くらい前までは中高生が中心でした。しかしコロナ禍での学校休校をはさんで、小学校高学年はもとより、小学校2,3年生の子どもさんにもこうしたゲームが急速に流行りだしています。


その理由はとにかく単純で、ゲーム自体が「かんたんで面白い」からだと思います。スマホタッチ一つで、いろんな状況がバンバンと打ち砕ける。その快感は忘れえぬものとして子どもたちに響くのでしょう。


しかしこの単純さ、つまり「ぱっと瞬間的に問題が解決する」という体感性は、依存につながるすべての要因の基礎的体験だと思います。


数年前まで、私は「『学校の授業 vs. ゲーム』の時代はなりつつあるな」と感じていました。不登校の背景にゲーム依存があるケースが増えだして、つまり「学校が楽しいか、ゲームが楽しいか」という天秤の中で行動する子どもが増えてくるだろうと予想しました。こうした中で学校の先生方も、授業を面白くわかりやすくし、生活場面でも個々の子どもの活躍場面を増やすなどして魅力ある学校づくりに尽力される姿も見てきました。


しかしその努力も、昨今の急激なゲーム依存の増加によってなかなか追いついていかなくなるのではという危機感を持っています。それはゲームのほうが急激にその魅力をいろんな手段を用いて増しているように感じるからです。先にも述べたように、「ぱっと瞬間的に問題が解決する」という体感性は、かなりのインパクトを子どもに与えてしまいます。


世の中にある問題は、すぐに解決できないものが多いわけです。勉強にしても、日々の努力や積み重ねがあって目標に近づいていく。あるいはそれは先行きが見えない中で、自分を信じて進んでいかなければならない。それとゲームを天秤にかけた時に、やはりゲームの方に手を出してしまう子どもが多いのではないかと思うわけです。


しかしもう一つここに付け加えると、「ぱっと瞬間的に問題が解決する」体験だけを繰り返していくと、必ず最後には「破綻」というものが起こります。依存症の問題は、もう一つ「否認」という問題がセットになっていて、自分い都合の悪い情報や体験は無視され、良い体験だけを頭に残そうとただならぬ努力をし出す。なので周囲が問題を感じても、なかなか手が出せない状況が始まる。また周囲もその負のスパイラルに引っ張られて、共に不幸の方向に進んでいってしまう難しさがあります。


さて、悲観的な話だけをしていても仕方ありません。この問題を我々「大人」は真剣に考えなければいけない。こういう話をすると、ただ「だからゲームはいけない」と言うしかないように思ってしまいますが、それ以上の策を考えなければいけない。


思い出すに、80年代や90年代は、子どもたちの問題を議論する中で、「子どもの問題は大人の問題の縮図(映し変え)である」とよく言われたように思います。子どもたちをどうにかするだけでなく、大人たちも自分たちの行動を点検しなければならない。そういう視点で考えると、今の子どもの問題は、「子どもの問題であって、大人には理解不能」みたいに考えられているように思いますね。


「大人だってゲームやっている」「いっぱい課金している」「自分のことしか考えていない」みたいな子どもの厳しい声が聞こえてきそうですが、そうした大人の非をここであげつらいたいわけではありません。


それよりも私たち大人も、ゲームだけじゃなくいろんな場面で「ぱっと瞬間的に問題が解決する」ものばかり追いかけすぎていないでしょうか?。「自分の力を信じて、じっくり時間をかけ努力し、結果に左右されず前に進んでいく」というスローライフを大事にできない人が増えているのではないでしょうか?。


ゲーム依存の子どもたちに話を聞くと、多くの子は「僕はできない子だから」とすぐ言います。自尊心が低く、自分に良いところはまったくないように感じている。普段の生活の中に居場所がないから、「ぱっと瞬間的に問題が解決する」体験は救世主的に感じてしまうわけです。しかしよくよくその子の話を聞くと、本人は気がついていないちょっとした努力や自尊心の芽がいくつかあるわけです。彼らはそうした部分に目が行かない、あるいはそういうところを評価された経験が少ないのかもしれません。


さて我々大人も、自尊心を見つめ、自分の力を信じ、じっくり物事に向き合って解決することの「喜び」や「良さ」を知っていくこと。そうした良さを背中で子どもたちに見せることを始めてみませんか?。


「show your life(生きざまを見せる)キャンペーン2020」