3分で名著《アルベール・カミュ「ペスト」》(100分de名著より)

このところのコロナショックで、私達は先行きが見えない不安とどう向き合うかという問題に向き合っています。そうしたことについて、かつてアルベール・カミュが「ペスト」という作品を通して、語りかけていました。

この作品は「100分de名著」でも取り上げられていましたので、その内容について今回扱ってみたいと思います。

20世紀の「不条理文学」の代表者として、以前このブログでも紹介した「カフカ」と共にこの「カミュ」も名前が挙がるそうです。カフカの不条理が個人に降りかかるものなのに対して、カミュが「ペスト」で取り上げる不条理は社会の中で生じる避けられない不条理だったりする。これは「ペスト」の発表に先立って2年前に終戦した、第二次世界大戦を暗示しているとも思います。

作品の冒頭では、最初は他人事のように捉えられていた問題が、街全体に非常事態宣言が出され、市民の自由が奪われていって、終わりのない問題へと変わっていく。そうした中で言葉にならない閉塞感が広がっていくという描写があり、私達が今まさに経験している状況そのものが描かれているようで、大変興味深いわけです。

人々は不安やストレスを前に、疲弊しないために目の前で起こっている悲惨な出来事に対して何も感じないように振る舞おうともする。しかしそれもやがて追いつかなくなり、混乱し、自分や他人の生々しい感情を体験したりする中で、人によっては「人生の意味」や「自分の存在理由」を考え始めたりする。

前者は心理学で言う、「不安」や「葛藤」に対するいわゆる「防衛」というものを表していますが、「ペスト」や昨今の「新型コロナ」のように、先の見えない社会全体の危機については、こうした人間の心の「防衛機能」さえも凌駕する問題が押し寄せることがある。そういう時に私達はどうしたらいいのか?という問題について考える必要がありそうです。

さてこの物語の中では、前半の「ペスト」の対応をどうするのかという外的な問題解決から、後半に向かっては、それを体験する私達のこころをどう考えるのかという、内面の問題へとシフトしていく。その中で印象的なのは、例えば主人公の医師“リウー”とともにペストで苦しむ人々を助けていた流れ者の“タルー”が、「自分はこういう災難があるずっと以前から、ペストにかかっていた」と衝撃の告白を行うシーンです。


これは実際のペストにかかっていたわけではなく、今までずっと自分の中にある矛盾に悩んでいたことの告白なのですが、「ペスト」という未曾有の災害と、その中で人間の良心をむしばんでいく「ペストに似た心の感染症」という問題を並べて、私達は「自分の心をどうしたら良いのか」という話に持っていくところが、「ペスト」という作品、あるいは「カミュ」のすごいところなのかもしれません。


「コロナ禍」の今、なかなか先行きが見えない状況が続いていますが、行き場のない不安に対して、「考えない」あるいは「他責的・攻撃的(○○警察等)」になって乗り越えている人も多いように感じます。しかしその一方で、表には見えずらいですが「これからの自分」「これからの世界」「これからの子どもたち」等のことについていろいろと思案をしている人も実は多いのではないのでしょうか。


「新型コロナ」の結果、これからの私達が失うものも多いのかもしれませんが、一方で得るものがあるとするならば、1つはこの経験を通して体験する私たちの葛藤や良心の積み重ねの中にある「何か」なのかもしれません。