『神経症の時代・統合失調症の時代・自閉症の時代』③

さて、いよいよ『自閉症の時代』についての解説となります。


それに先立って必要な理解として、「統合失調症」と「自閉症」は実はある部分で共通しているということを共有する必要があります。


これは受け入れるか受け入れないかは、皆さんそれぞれだと思います。決して私は「自閉症」と「統合失調症」が同じだと言いたいわけではありません。両者にはいろんな意味で決定的な違いがあるし、治療などにも大きな違いがあります。しかしながらここからのお話を理解する上で、その事を頭に入れておくとちょっとわかりやすくなると思います。つまりここで重要なのは、両者に共通するある「構造」に目を向けることです。


その共通点とは何なのか。それはこのシリーズで以前から用いている「妄想」という概念なのです。


「自閉症」の方々には、それぞれ「こだわり」や「熱中するもの」があるのはご存知かと思います。彼らは平均的・一般的な能力を発揮するのは難しいけど、自分の好きなもの、安心できるものには非常に愛着を示し、その領域では非常に高い能力を発揮することがある。


つまり彼らは一般の人とは違うことを大事にしているわけです。そして私達には理解できない発想や常識を持っていたりもする。それはある意味彼らの世界における「妄想」とも言えるのかもしれない。


※ここまでの議論で「妄想」とは、統合失調症の人が持つ症状としてではなく、人類全体が社会を維持するために編み出した、「常識」「法律」「ルール」「習慣」等まで含めた非常に広い概念として理解してきました。詳しくは、https://www.hizurashicounseling-shizuoka.com/post/『神経症の時代、統合失調症の時代、自閉症の時代』 をどうぞ。


「統合失調症の時代」であれば、そうした常識から外れた考え方は、排除されたりむりやり矯正されたりしたわけです。しかしながら彼らの「妄想」は、彼らの安心や安定を生むためのものでもあるので、そうした圧力はますます彼らを不安にさせ、「被害妄想」を呼ぶと前回お話しましたね。


しかし現代(=「自閉症の時代」)においては、自閉症者の「妄想(こだわり・独特の考え方等)」は理解され、受け入れられる余地が広がりつつある。これはもちろん社会の理解が進んできたという背景もありますが、他にもそうした事が可能になる新たな文化や装置ができてきた。


それが1990年代以降の「オタク文化」でもあり、2000年代のSNSの台頭でもある。


こうした中で、同じ趣味を持つ者、こだわりを持つ者、意見を持つ者が集まって理解し合うような場所が生まれてきた。近年ではネットさえ繋がっていれば、世界中の誰とでもつながることができる。意見を同じにできる小さなコミュニティーの中では、少数派ではなく、多数派の常識となり、「妄想」は“共有可能”になる。「統合失調症の時代」では、こうした『「妄想」の共有可能性』が崩れることが、病気を生む原因だと捉えていたので、現代は問題が問題とはならない。だから社会に生まれるのは「被害妄想」ではなく、限られた世界の中だけではあるものの安定となっていく。


さて、発達障害の治療において、「TEECH」や「応用行動分析」などが近年注目されてきていますが、これらの治療は「合わない世界(現実)に強引に適応させる」方法ではなく、彼らの持っている能力を引き出す意味で「環境が彼らに合わせる」という手法です。


つまりは彼らの混乱を生む「逆説」をむりやり飲み込ませるのではなく、安心の材料となる「順接」を増やすという考えとも言えるのですが、社会の文化や装置にも目を向けると、一般の人も巻き込んで「順接」の場や世界が増えていく中で、彼らの問題は「統合失調症」にまで至ることなく、「発達障害」で留まることができる時代なわけです。


偏見や差別がなくなったわけではありませんが、現代は障害者にとって過ごしやすい世の中になりつつあるのは確かだと思います。しかし逆に個人主義が台頭しつつあるという意味では、社会で生き残っていくための「責任」「主体性」「判断力」が要求され、まだまだ自閉症の方々には生きにくい世の中でもあります。


しかしながら、この話の本質は多様な生き方が許容され、一つの考え方に強要されるのではなく、時にリスクを回避しても生きることが可能になったという意味では、時代の大きな変化がそこにあるのだと思います。


今回のお話は、そうした時代の中で、自閉症を含んだ発達障害者が増えてきているという理由一つのが、社会学と精神分析をかけ合わせる中で見えてくるのではないかというお話でした。