「結果主義社会」と心の問題

「結果(成果)こそすべて」みたいな社会風潮ありませんか?


これを私は「結果主義社会」と呼びたいと思いますが、その弊害について心の面から考えてみたいと思います。


「結果」とは、例えばテストで100点取れば素晴らしく、50点は評価に値しないということ。しかしもしも50点取った子が実は以前は25点しか取れなかった子で、「これではいけない」と一念発起して今回はいつもより一日10分だけ多く勉強して出た結果だったとすると、これは大きな成果ですよね(プロセスの評価)。でも点数(結果)だけで判断してしまう人からすると評価に値しないとなってしまう。


実は結果主義は「結果」を見るだけでいいので、評価する人にとっては手間がかからずとっても楽なんです。でももし、「プロセス」もちゃんと見て評価してあげようと思った時、そこには”相手の行動をきちんと観察する””その人の思いを聞く”など、非常に時間や手間がかかるものになる。だから人は安易に「結果」を評価の対象としがち。これでは世知辛いわけです。


他方で結果主義に影響されやすい人たちは、その評価によって「結局頑張ってもダメなんだ」となって、人生をあきらめることになっていくかもしれません。あるいは「やっぱり自分は一生評価されない人間なんだ」と思い、人間不信の道を進んでいってしまうやもしれません。


私はこうしたことに対して2つの処方箋を示したいと思います。


1つは、「結果」だけでなくきちんと「プロセス」を評価できる社会になること。人間は良い意味でも悪い意味でも人の評価によって成長する部分があります。自信のない人や子どもでも、見えない自分のがんばりや気持ちの変化をきちんと評価されると、俄然やる気が出てくるものです。失敗したとしても、周囲がはげましてくれたことで気持ちを持ち直すことはよくあることですね。手間ががかっても相手の小さな変化や努力がその人を成長させるものだと信じて、大人は「プロセス」にも目が向くようにしていきたいものです。


しかし一方でこうした社会の変化を待つ姿勢は、周囲の理解があればいいけど、理解がないとダメになるという相手次第の人が増えてしまうことにもつながる。そうした中で2つ目の処方箋。それは、自分自身も自分の「プロセス」を評価できるようになることです。自尊心の低い人は、①自分をダメだと思いすぎている、②人の評価に頼っちゃう、③自分の小さな変化や努力に気づけない、等の傾向があります。先のテストの例も「25点しか取れない自分はもうだめ」と思い込んでその先に進めない。あるいは、せっかく努力して50点取っても、これはまぐれだと思ったり、評価されなければ次から努力しなくなってしまう。たった10分増やしただけでも、点数が倍になるというのに、そうしたちょっとの努力は評価できずに永遠に「自分はだめ」とのふりだしに戻り続けてしまう。


「スモールステップ」という言葉がありますが、人や自分さえも評価しない、ちょっとした心の変化や新しい習慣が、その人を徐々に成長させることがあるわけです。スモールステップの5年先に、今の自分からするとずいぶんな成長があるということを信じられること。これが、これからの困難な現代における重要な価値観の一つになるのではないかと思います。