「不安」と「うつ」の違いと、その乗り越え方

結構その違いがわかりにくくて、たまに患者さんから質問されることもありますが、皆さん、「不安」と「うつ」の違いってご存知ですか?。


新しい精神医学の概念では、治療に使う薬が同じだったりする関係もあり、その違いについてはあまり明確に分けられなくなっている「不安」と「うつ」の違い。かつては明確にその違いがあるとされておりました。


「不安」;これから先に起こる出来事に関して、どうなるかわからない中で感じる負の感情・感覚。

「うつ」;過去の出来事に関しての、後悔や落ち込みなど。


つまり「大学受験を前に、受かるかどうか心配だ」「どうせ頑張っても、自分はうまくいかないだろう」のような、先行きの心配や見通しの持てなさからくる思い込みのようなものは「不安」となり、


「あの時にあんな事を言ったから、お父さんは死んだのだ」「あそこで頑張っていたら、今頃はいい人生が歩めたのだ」と考えるのは「うつ」となるわけですね。


ただし「うつ病」になる方の中には、同時に「将来への不安」も訴える方もいらっしゃるので、こうしたケースでは「うつ」と「不安」が明確に分けられるわけではありません。


とりあえずここまでの話のポイントとしては、人間には過去にさかのぼる後悔と、未来に対する恐れの2つの方向性があると捉えることでして、そう考えると問題が整理されやすくなるのではないかと思います。


また「過去」は「変えられない」、「未来」は「どうなるかわからない」という感じで、両方とも『どうしようもできない』こと、つまりは『コントロールができない』ことから来ている感情だということも押さえておくと良いでしょう。


ここからはまた別の視点でこの問題を整理してみたいと思います。人間は生まれながらに「万能感」の中で生きていると考えは、精神分析の発達論における重要な考え方です。例えば赤ん坊はお腹が空けば、母親がお乳を差し出してくれる。視覚などの認知機能が十分に発達していない段階では、彼らはあたかも自分が念ずれば自然とお腹が満たされるような思い込みの中に生きているわけです。


しかし成長するにしたがって『自分の思い通りにいかない』経験が増えていく。大人なんて思い通りにいかないことばかり!ですよね!。その事を知ってしまうことのショックや苦痛といったら、それはそれは大きいわけです。しかしこれは、人間の宿命でもあって、好む好まざるに関係なく、誰もがそれは飲み込んで行かなければならないことでもあります。


この『飲み込み(理解・受け入れること)』っていうのが、「うつ」や「不安」の解消には必要なのですね。でもそれは単に、「我慢しなさい」とか「そういうものだからいやでも受け入れなさい」というものでもない。


ここでこうした事を受け入れるためには何が必要なのか?。


ここで日本独自の不安障害の治療法である「森田療法」の話をしてみたいと思います。「森田療法」には「あるがまま」っていう考え方がありまして、これはもともとは仏教の考え方から来ているようなのですが、自分に起こる良いことも悪いことも「『あるがまま』に受け入れる」ことで心の問題が回復していくという考え方があるわけです。


でもこの「あるがまま」って考え方は、わかりそうで、わかりにくい。そして簡単には「飲み込めない」話でもある。


なのでもう少し森田療法の話をつづけてみたいと思います。森田療法には「入院森田療法」という方法がありまして、最初の7日間はベットに寝る状態を作って動くことは許されず、不安は不安のままで受け入れるような状態を作る。そしてその後は徐々に作業療法などを取り入れて動ける状態に持っていって、最後は社会復帰につなげるという流れがあります。


この流れには2つのポイントがあります。1つは、この流れの中に身体的な回復のスペクトラムがあるのはおわかりでしょうか?。つまり「動かない」という状況から、日常的な「動き」までをたどっているわけですが、この中で自分に生じる「小さな変化」や「小さな成功体験」を身体感覚を伴ってめぐっているわけです。不安障害やうつ病になる方々の中には、高すぎる目標や理想が問題の背景となっている場合があり、自分の日常的ながんばりや成功体験を「当たり前のこと」として自己の価値として捉えないし、人によっては「まだまだ足りない」「まだまだダメなんだ」なんておっしゃる方もいるのです。


しかし森田療法を経験した方々は、「当たり前のことができる重要性がわかった」「できることが増える中で充実感を感じることができた」等の声を聞く事があるわけですが、一つ一つの積み重ねにこんなに価値があると感じることができる。これも「あるがまま」につながる体験のようです。


ポイントの2つ目は、森田療法ではこうした回復過程の中で、その人の「自主性(主体性)」というものを重んじる。誰かの指示に従って動くのではなく、回復の中で自分で考え行動することの大切さを感じる。日常の行動に戻っていくわけですから、ものすごい難しい課題を目標に試行錯誤するわけではない。でもその当たり前の行動の中で、自分の自主性を発見し、成功体験として自分のものとする。そのことが結果的に、自分を取り戻すようなことにつながるようなのです。


困難を前に、「自分で考えろ」ってアドバイスされた方も多いかと思いますが、「大変なこと」を自分で考えて乗り切るよりも、「当たり前のこと」を自分で考え乗り越えることの意味の方がここでは重要なのです。そしてこれもまた「あるがまま」につながることのよう。


大きな理想よりも、日々の当たり前や足元での努力。その価値に気がつくことが重要なのですね。


このお話し、皆さんのご参考になりましたら幸いです。